MICHEAL.Jr passed away. まーくん🐱が9月に神様のお庭へ引っ越した

はな🐈の調子がかなり悪くなり気胸らしき咳が2月から出始め、やっとおさまりつつあった4月。

今度は4月中頃からまーくんが毎日嘔吐をするようになった。

MICHEAL.Jr こと、まーくん

嘔吐は深夜から未明に必ずと言っていいくらい起きた。なので、まーが嘔吐して落ち着くまで普通の時刻に眠れる日はなくなった。

「急性胃腸炎」といわれた初期の診断。まーはお出かけも投薬も苦手。わずか数回だが、飲ませた制吐剤も胃腸薬もきかなかった。

【この子は薬を受け入れない】

【受け入れてくれることだけ、させてもらおう】

どんどん削痩するまーくん、いつ亡くなるとも分からないはなちゃんとふたりの面倒をみながら4月と5月と過ぎていった。

外出嫌いの嫌がるまーをキャリーに入れられたのは彼が酷く弱っていたからだった。

急性胃腸炎だったの???

血液検査の結果では顕著な異常がない、という。ただ、高中級数のみ高いと。

胃腸を詳しく調べるなら、さらなる検査とそれを受けて内視鏡検査など検討できるけれど、結局は内服薬となる、と、医師のお話。

薬を飲まないまーには内服薬は無理だし、前段階の検査を怖がるに違いなかった。

「まーは、薬をうけつけない」💊

してやれることはぼとんどなかった。

●恐怖を与えたり、痛みを伴う検査や治療、本人が受け入れないことはしない。

動物舎のルールである。

🐈🐾 🐈🐾

5月15日、はなが旅立った。三年まえから既に覚悟していた看取りだった。CKD(慢性腎臓病)による最期はふたりめだったがのんちゃんよりは遥かに穏やかだった。

🐈🐾 🐈🐾

9月になると、まーは、母からは見える家具の隙間でペタンと寝転んで一日を過ごすようになっていた。好きなものをわずかに食べるだけで、体重は毎日減少し3キロを切っていた。

仕事にでるときは、「夕方には戻るから待ってて!」と必ず声を掛けた。

その日、「ただいま!」ドアを開けると目の前の廊下にまーくんが倒れていた。

顔や体に触れたあと、耳の穴に指を入れるとかなり熱い、熱がある。腹部を触るとわずかにぷよぷよしており腹水の貯留を感じた。

意識はあるが体には力がなくなっていた。自身の血の気が引いていく音を聞いた。

電話をしたらいつも指名する先生がいて、夜間診察を受けた。

結局、医師と話しただけで、明朝から検査する運びとなった。この夜、熱を下げることくらいしかできなかった。

注射でなにか和らぐ症状があるならそれを、、、そう望んで翌朝、早くからまーくんはあれこれの検査を受けた。

こちらから提示した予算は6万円。

診断名 消化器型リンパ腫、末期

エコーでは、腸が侵されて一部が大きく腫れていた。針生検でもおかしな形のリンパ球と、壊死した細胞しか取れなかった。腹水もあったが抜去の必要はまだないとのことだった。

してやれるのは炎症をわずかに抑えるであろうステロイド注射だけだった。

それからわずか7日後、母が仕事から戻るのを待ってくれていたまーくん。ぐったりしたままで寝転んでいた。様子を一目見て、今夜、もう逝くのだとわかった。

膝の上に抱き寄せて、声を掛けなでるしかなかった。既に瞳孔は散大している。

薄い瞳の色は黄色とも緑とも区別がつかず、晩年の優しいまーの性格そのものだった。茶トラの黄色も暖かい色味だった。

呼吸数、心拍数ともに上がり、酸素を鼻腔のかなり近くに導入した。意識がしっかりある時は酸素の出てくるノズルをむしろ嫌がった。

20時半頃から容態は悪化した。そのうち、小さな痙攣が起き同時に小さな声をあげた。その瞬間に意識が完全になくなったようだった。

みるみる呼吸数が少なくなり、聴診しても心音は雑音に変わっていた。

しっぽの毛が逆立ち最期の一息を吐くと、まーの心臓は止まった。20時58分 永眠。

経験則だが、ネコは死に際しっぽの毛が威嚇する時のようにぼわっと逆立つ。

【まー? まーくん?! まーたん!】

名前を呼びながらまーを抱き締め泣きわめく母を他のにゃんずは遠巻きにして怯えていた。

【みんなびっくりさせてごめん、まーくんお兄ちゃんが、、、はなちゃんのところに行ってしまったよ】

土曜日に亡くなり月曜日に荼毘にふすことになった。タオルに包んだ保冷剤を頻繁に交換した。まーの遺体は汚れることもなく綺麗だった。これは珍しいことであった。

10月はお仏壇やお位牌を新調したりと忙しくした。

【お仏壇を置いて供養しなければ】

という衝動に駆られたのだ。

お仏壇には、新しく作った両親の夫婦位牌と、動物舎で生きた生き物たちの遺骨や遺髪を収めた骨壷をおいた。

御本尊は小さな掛け軸で【十三佛様とお大師様】にした。母の子どもたちを導き救ってくれることを祈って。

ボーティブという長い時間に渡り燃焼できる背の低いロウソクを灯し、白檀が僅かに混ざっているお線香を焚いて、四十九日までを数えた。

朝晩にドライフードやおやつをお供えした。エン麦がよく育ってるうちはそれを刈り取って草食獣達に。

両親含み御先祖様にはふりかけをかけた白飯を、炊飯した時だけ供えた。

両親には小さくカットしたバタートーストを時々供えた。

お仏壇に必要な具足がすべて揃うには日にちがかかったのだけれど、選んだりオーダーしたり、飾り付けをしたり、そういう忙しさが悲しみを紛らわしてくれた気がする。

それでも立ち直ることは出来なくて心身不調となり書道教室は11月いっぱい休講とさせてもらった。

はなが亡くなった時は、ブログにわりと早い段階で投稿できたけれど、流石に5ヶ月の間に二人も子どもを亡くすとどんぞこまで落ち込んだので、ブログなど頭から消えていた。

はなの訃報の投稿をみてコメントをくださった方がいて、コメント来てますメールで知った。

それがきっかけとなって、まーのことを書き始めたのであった。

🐈

まーくん。まーたん。

やんちゃが酷かったころはたくさん叱ってごめん。

「それ、ダメでしょっ!」

何でもかんでも好きにさせてあげたかったけれど、他の小さな生き物をハンティングするのはさすがに困って叱りつけたね。観葉植物もぐちゃぐちゃにしてくれたね。

順位が低かったころは、腕枕に来たかったのに、足元の方でずっと我慢してくれていたね。

モカやはなちゃんが亡くなり、男の子としては第1位になり、やっと腕枕にも来れたのに、わずかな月日だったね。

小梅姉ちゃんになんども挑んだけれど、一位の座は残念ながらとれなかったね。

「ママ、抱っこしてー」

モカと同じく縦抱っこの心地良さを覚えてまだ3年も経ってなかったかもしれない。両の前足で足踏みしてから立ち上がり母の肩に前足を掛けて甘えてくるまーくんは、極上の愛らしさであった。

「ママ、もう限界、まー、ごめん降りて」

まーが自分から離りるのを待ってやれなくてごめん。重いからと、グルルグルルと喉を鳴らしてる最中に降ろしてごめん。

出会いのとき、捕獲の瞬間は大人しくはなかったけれど、一発勝負で捕獲させてくれてよかった。京都からの電車は揺れて、途中、吐いてしんどかったよね。

まーくん、茶トラ特有の甘えん坊ぶりを見せてくれてありがとう。

まーたん、小梅姉ちゃんが18歳と半年になったよ。

まー、小梅を迎えにくるのはもう少し待ってやってね。2024年6月には19歳になるから、少なくともお誕生日は迎えさせて。

年老いたけど小梅は元気だもの、見ている限りはね。高いところだって上がって降りてこれるし、若い弟が悪さしたらダッシュで追いかけてるよ。

まー、モカ兄ちゃん、はな、琥珀達と楽しく過ごしていてね。20年は待たせずに必ず行くからね。

🐈

お仏壇のある風景に変わった動物舎。

お線香の香りとロウソクの燃える匂い。

そして綺麗なおりんの音が響く動物舎。

見たこともないお仏壇という変なものを受け入れてくれてありがとう。

母であるわたしと子どもたちのささやかな楽園、動物舎。

平和な時間が1分でもながく続きますように。

2023年、黒猫18歳になる。

小梅は300gちょっと位の体重のころに動物舎のこどもになった。

2023年5月に19歳で亡くなったはなちゃんと、2017年に14歳で亡くなったモカに、蝶よ花よと育てられた。

それで根っからのお嬢様気質ができあがってしまった。

お誕生日プレゼントはピンクの軽量カラー

でも、とても母に懐いてくれて目に見えないもの、言葉にできないものをたさんくれたように思う。

小梅ははなちゃんと同じく慢性腎臓病だけれど、頑張り過ぎずにあと少し長生きして、母の人生に寄り添って欲しいと勝手なことを願う。

6月10日はかつおのお刺身でお誕生日おめでとうパーティ。

にゃんずのみんな、小梅おばあちゃんのわがままを許してね。

明日もきっとしあわせな動物舎。

黒猫が4~5日ぶりに食べた

慢性腎不全の黒猫、おばあちゃん猫でる。

大切な大切な大切な娘である黒猫の小梅。6月には満18歳になる。不調になってここ4~5日は飲水もなく、食べなくなっていた。

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無料ギャラリーにあった黒猫。顔が若い。小梅にもこんな頃があった。

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今朝、2023/02/10になって、やっとウエットフードを少し食べた。嬉しかった。

小梅には皮下輸液をしたことはなく、今回の不調におちいったとき、どうするか考えた。

舌なめずり、お口クチャクチャ。

ネコの気分が悪いときにみられる動作、何とか気持ち悪いのをましにしてやりたい。

腎不全からくる脱水症状は、はなちゃんも小梅も何年か続いている。

はなちゃんは、皮下輸液を継続していたがやがて嫌がるようになり、辞めた。小梅は皮下輸液がなくても良好な状態で過ごせていた。

2匹とも腋窩で38.6度の体温。小梅は気分の悪いときの動作をする。考えに考えて小梅に皮下輸液を試すことにした。輸液ははなちゃんの残りがあった。

穿刺のときと、始めのリンゲル液が皮下に入るときに「シャッ」と短く怒っていたが、常温で30mlを入れることが出来た。水曜日の深夜である。

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23G(ゲージ)というかなり細い針で穿刺の痛みは最小限にできる。24Gを故猫のんちゃんに使っていた。細すぎてたくさんの輸液を入れるには時間がかかった。そのかわり不快感は小さくてすんだようで、のんちゃんはおとなしかった。

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翌日の木曜日、2023/02/09。もし、皮下輸液をしたらもっと怒るだろうな、これが最後のチャンスか。これでなんとか良くなってくれたらいいのに。

19時半ころ嫌な気配を察した小梅はテーブルに逃げた。用意をして輸液をとったシリンジ、翼状針、ヘアピン、ハーネス、短いリードをもってテーブルに行った。

当然、逃げようとしたが、ハーネスを付けると引っ張らなくてもじっと座ってくれた。

とくに最初の1滴は慎重に静かにゆっくりで。

なぜ、ゆっくり静かに輸液を注入するのか。

病院で獣医師のやるようにピストンを躊躇なくずずーっと押し込むやり方は、皮下に一気に入ってくる輸液の刺激が大きくて生き物には強い不快感を与える。時間に追われる病院では仕方あるまい。お家では、刺激の小さいやり方をしてやりたいと思うではないか。

最初の一滴のあと、1ml~5mlは、ゆっくりと入れて皮膚が輸液の感覚に慣れ始めたら、小梅に声をかけ左手で頭をなでつつ、右手はピストンを押し込んでいく。30mlで23ゲージの針なら疲れることなく片手で押し切れる。

穿刺のときは水曜日よりも、「フゥ~ッ」と強めに威嚇の声をあげた。リンゲル液が入るとき再度声をあげたが、30mlを入れさせてくれた。

そんなことがあっての今朝のごはん。やはり、食べないので、ボウルの場所を変え自分の枕元に置いていた。

数分後、小梅がベッドの足元側の電気マットから歩き出して枕元のボウルのフードを食べ始めた。

「偉いねー! ごはん、たべられたね。いい子いい子😭」

目の前の、命の危険を遠ざけることができた。

一方、はなちゃんは、一日の中での食欲ムラが大きいがそれなりに食べてくれるようになっている。

はなと小梅が普段使う電気マットは母のベッドの足元に置いてある。2匹が特に不調になってからは、酸素ジェネレータからのチューブにネプライザー器具をつけ、そのマットの上から酸素が降り注ぐ形に変えていた。

普段は部屋の壁にチューブの先端をピンでとめて、部屋全体にじんわりと酸素が渡るようにしている。そのチューブの場所を変えて不調解消に役立てられたら、と移動したのだった。

「いっそ酸素ルームにすればいいのに」

多くの方はきっとそう思う。大人しくそこに入ってくれるワンコ、にゃんこも多いようだ。でも、うちの姫猫達は普段のようすからして、望まない形で閉じ込めらるのは拒否するだろう。

はなちゃんは、頻脈性不整脈がひどく、寝転んでいても呼吸数40~60回、心拍は160/分が普通になっている。酸素を供給するようになってからは、呼吸数40回程度に落ち着いている。心拍数はなかなか落ちない。血圧もやや高めの時が多い。

ネコは呼吸数20~30回なら正常範囲である。

小梅は呼吸数25~30、心拍数60~80回である。食べられなかった数日の間も変わり無かった。

慢性腎不全の老猫、小梅が今回何とか持ち直したのは、結果からすると、酸素(93%、1L/min)を与えたことと、リンゲル液30mlの皮下輸液2回、フォルテコール服用中止、だと思う。

まだ目は離せないけれど、病気なりにもっと元気をとりもどしてくれたらと願う。3回目の皮下輸液は拒否されるだろうから、このまま回復して欲しい。腎不全のお薬、フォルテコールもまだ数日は止めておこう。矛盾するようだが薬の作用・副作用がしんどいこともあるのだと思う。

【生き物が嫌がる治療はしない】

昨年決めた、動物舎の新しい方針。

今日は若いにゃんこ達に猫じゃらしのサービスを多めにしてやろう。姫猫達の養生のために我慢してもらっていたから。

姫猫達の観察と猫じゃらしで忙し動物舎。

明日、母はいつものお仕事で外出するけれど、みんな生きてお留守番していてね。

鳴き止みません、勝ち取るまでは。―にゃんこはちゅ〜るが欲しい―

バルジェは我が動物舎では珍しいソリッドカラーの黄色いにゃんこ。

バルジェ

黄色い歓声 という表現がある。

バルは黄色い体でうるさく、泣く、鳴く、啼く。

₍ᐞ•༝•ᐞ₎◞ ̑̑♪

お腹すいた。

トイレ掃除して。

お水取り替えて。

猫じゃらしして。

とにかく、いつも何かを要求している。

⁽⁽ฅ₍₍⁽⁽ฅ^•ﻌ•^ฅ₎₎⁾⁾ฅ₎₎

先程も寝る前の軽食を与えると、バルジェはそれではなくてちゅーるを欲しがって鳴いていたが、とりあえず無視。

どこまで粘れば要求が叶うものなのか、猫という生き物は常に飼い主を試すからだ。

みんなが食べ終えて少し落ち着いてから、バルに話しかけた。それが動画の様子。

バルジェ、ちゅーるを諦め水を飲む。

朝も昼も夜も、起きていれば鳴いてることの多いバルジェ。お迎えした頃はモカに良くなついていたが、そのころは泣き虫ではなかった。

バルジェに限らず子猫達の面倒を
よく見る兄猫モカにゃん。
これは、バル達をお迎えしてまもないころ。
(2019夏)

不満? を感じさせてているのは、この母なのかと不安になる。

手があけられるときにはできる限り構ってやりたいと思う。ただ、もう少し可愛く鳴いてくれたらと贅沢なことを思う。

(´×ω×`)

しゃがれた声で、ときどきコブシをきかせながらなくのはやめて欲しい。なんというか、若さがなくなる。

バルジェの鳴き声に少し苛立ちながら、18歳6ヶ月のはなの旅立ちがいつなのかと心配もしなくてはならない。

がんばろう、この子達全員の旅立ちを見届けるまでは。

少しばかり騒がしい動物舎。

みんな、ここに来てくれてありがとう。

黒猫、17歳になる。

愛猫、小梅は今日2022年6月10日が推定誕生日。17歳。

テーブルの下、ほぼ一日、母の傍にいる。

2005年7月2日、早朝に拾い上げた。まだ、330gほど、お皿からはミルクを飲めた。ガンと闘うゴールデンリトリバーくんが公園の植栽に隠れる仔猫をみつけてくれたのだった。

ご夫婦がゴールデンくんのリードを持ったまま立ちされずにいて、そこへ通りかかり連れ帰ったのだった。

お姫様として故猫モカとはなにたくさん可愛がられて育ったため、一歳にもならない頃にはのんちゃんを追い出してしまうほどだった。

あの朝から早、17年。慢性腎臓病(CKD)と付き合いながら、気に入らない若い殿猫を元気に追いかけている。

追いかけられるのは白猫の槐。布団の下に潜る彼と間違えられて、母のふくらはぎをがっしり噛まれたのは5月。もう勘弁してねと思いながら、この6月も噛まれた( ˙꒳˙; )

のんちゃんのことがあって、一度は実家で面倒をみてもらおうと四国へ連れていった。その日の夜中に脱走してしまい、2ヶ月ほど大阪から週3くらいで通い、のどが潰れるまで名を呼んだ。

新聞広告をうち、その情報から小梅を見つけ、やっとのことで大阪に連れ帰った。当時、逃がしてしまったばぁばが途方にくれ、占い師にみてもらったという話も聞いた。「3ヶ月ほどでもどる」と言われたらしい。自分のうちに戻る気持ちのある猫ならば、そこまでかからない。占い師も猫を知っているとみえた。

そういえば、大阪から阪神方面へ転居してまもないころ、はなちゃんの目の瞬膜を爪で引っ掻き割いたこともあった。V型に切れ込んだ傷は残るが視力に影響はなかった。そのはなちゃんも3月に18歳を迎えた。

小梅だけは、車の少ない日曜日などは、ときどき猫じゃらしの草を食べさせてやるために、アパート裏の敷地に連れ出してやる。夏場に限ったことで小梅が楽しみにしている。

室内飼育に切り替えてから、一切出さない年月があったが、CKDとなってからは悔いのない人生を送らせてやりたいと、ときどき以前のように外へ出してやるようにした。はなも同じくだが、廊下を歩き階段を上がるも疲れるようで3分もすればだっこで部屋にもどる。

小梅は敷地の外にもでて、歩道を行く人や自転車を見送る。耳が少し遠いようで、車の音に気づかず横切ろうとするので、一方通行の公道に出ているときは見守っている。

そんなこんな、いろいろやらかしてくれる小梅さん。

もう少しここにいて。

四国の実家から抜け出してもちゃんと大阪方面、東へ東へと向かって進んでた、偉かったね。

初めてあった時、逃げずにすんなり抱っこさせてくれてありがとう。

今日も平和な動物舎。

ほかのみんなもありがとう。

槐🐱のハンティングごっこ

お気に入りのおもちゃ

白猫、槐(えんじゅ)は、あした5月26日に満3歳のやんちゃ坊主。

竿型のネコじゃらしに付属のもこもこワームが大好きで、別売りのそのワームだけを買い足している。

今回竿の猫じゃらし本体も買い換えた。付属のおもちゃとしてワームの他に、キジのような羽だけのおもちゃと魚のぬいぐるみに着色したダウンにちかい羽を貼り付けたものがあった。

フェザーや羽のおもちゃを初めて与えたことになったが、しゃ〜しゃ〜しゃ〜という程お気に入りなのである。ウサギ皮のおもちゃのベビーマウスや、ワームでないおもちゃをこんなに気に入るとは思わなかった。

羽の魚

部屋が狭いためさほど長く走れないけれど、ワームをつけた短い猫じゃらしと、羽の魚で当面は退屈せずにすむかな、と思う。

今日も平和な動物舎。

ありがとう、みんな。

2022.2.22 たくさんの「2」

言わずもがな猫の日。

2222.2.22 は迎えられないけど、その頃地球には何億人が生きているのだろう。

槐がいないけど、ほかはみんないっしよ。

1週間前に痙攣で倒れたはなちゃんは、あれから何事もなく無事に生きている。良かった。

小梅が怖くてまだまだ一緒に団子になれない槐

猫の日も関係なく、お手本作製やら、月例出品作の制作に追われる毎月21~25日。

若いにゃんずがかなり理解して作業を邪魔することが減った。

みんな、ありがとう。

今夜は、静かな動物舎

寒い夜は、掛布団の上かそれとも中か? にゃんこの大きな問題

関西も夜はなかなか冷たくなってきた。

ネコの性格によって夜に本格的に就寝するとき、それぞれ場所取りがある。

数時間経てばその場所にいる顔ぶれも変わったりする。

モカ亡き後、KING となったまーくん。足元に甘んじ数年、ようやく母の腕枕を獲得。

このごろ、おばあちゃんだけれど、お嬢の小梅にちょっかいをだす殿猫が増えた。

まーくんと二代目モカにゃんまでが小梅にきつくなった。小梅も負けてはいない。

弟分には優しいモカにゃん。

ベッドへ呼ぶと掛布団の上に乗る。シャム柄二代目モカにゃんと弟分の七生。一歳をはるかに超えるまでおっぱいを吸わせていたが流石に…

お嬢2人、繰り返すがおばあちゃん猫のはなと小梅は就寝時刻近くになると電気マットの上にいる。

ハチワレと黒猫なので、よく見えない。

掛布団の上に、毛布、古枕、クッション➕電気マット。昼間にスイッチを入れても母の座るテーブル、ホットマットが熱源の簡素なコタツなのだけれど、そちらへ来てしまう。

槐は早朝にまーくんと入れ替わるように布団に入ってくることが多い。小梅が天敵なので仕方ない。

槐もバルジェも、コタツが冷たくなってしまうと掛布団の上にやってくるが、その前にめんどくさいことをやらされることが多い。

昼間に猫じゃらしをしっかりしてないと、バルがやかましくしつこく鳴いて寝かせてくれない。そういうときにはおやつを与えても食べない。

どうしてもしんどいときは、頭から毛布を被って無視することにしているが、それ以外は特大猫じゃらしをベッドの上で揺らしてやる。

すると、高さ1メートルほどの大ジャンプをみせてくれる。往年の初代モカ同様でネコらしさ全開である。

寝る前にベッドの上でゲームをすることが多い。にゃんずは人間をよく観察している。

「みんなー、寝るよ〜」

ゲームをしているとにゃんずはなかなか来ない。

「夜食食べてトイレ行ってきて、掃除したからね〜」

スタホを置いて寝る前の薬をのむと、呼び掛けに応じてやってくる。毎日のことば、習慣もよく理解している。

今日は少しだけ部屋のモノを置き換えたので疲れた。にゃんずは興味津々であったけれど。

みんな、暖かい夜にしてくれて、ありがとう。

ただし、とてつもなく寝苦しいけれど。。。

ここ、動物舎を選んでくれてありがとう。

晴れた冬の日は部屋の中で日向ぼっこ

我が動物舎の姫猫はついに写真のおふたりのみとなり、数年が経った。

手前 はなちゃん、奥 小梅

さいごのうさぎさん、うりちゃんが神様のお庭に行ってからも部屋に出したまま役に立っているラビットケージ。

痛くないよう、寒くないよう、ダンボールを敷いてから毛布を置くと、冬は高度の低い太陽の日差しがそこに来る。

数え年でいうと、姫猫達はそれぞれ18歳と17歳。ふたりとも慢性腎臓病と付き合っている。よくここまで生き延びてくれた。

何の血縁もないにゃんこ達のシェルター、動物舎。多頭飼育は少し寿命が短くなる傾向にあると、ペット火葬業者さんに聞いたことがある。

その傾向を覆して20歳を超えてから、あるときぽっくり亡くなるのがこの子達にとって最前の天寿の迎え方かなと思う。

わがままは全部きいてあげられなくてごめん。

長生きしてくれてありがとう。

今日はとても穏やかな動物舎、みんな、ありがとう。

病気のネコのために嫌がることはしない、と決めたこと。 I decided not to do anything that the cats would not like.


I would only give treatments that cats with curable diseases would accept.

I decided not to do anything that the cats would not like.
I would only give treatments that cats with curable diseases would accept.

Cats with chronic kidney disease and heart disease cannot be cured.
I thought about what I could do to give them the same life as before they got sick. As a result, I stopped taking painful treatments and data.

2021年の年末までに、決断しようと思うことがあった。

診断がはっきりしてから、はなちゃん17歳の心拍数と呼吸数を毎日測定するようになったのは、2019年の6月。

生活の質、QOLを落とさないように配慮しながら治療をするために、投薬内容や症状の記録も始めた。

はなちゃん 2022.1.1 撮影
右後ろに見えるのは小梅

動物が我慢して受け入れてくれる治療や検査は数少ない。大抵は、獣医と飼い主が我慢を強いて動物の為にと、あれこれやってしまう。

あるときから、人間本意の治療をみなおし、はなが拒否することはできるだけしないことにした。受け入れてくれることだけに減らしていこうと改めた。

まず、慢性腎臓病につきものの皮下輸液をやめた。次に心臓の鬱血を取るための内服薬をやめた。

血管拡張により、血圧を下げ結果的に心臓と腎臓の負担を軽くするお薬だけを食べてもらっている。それでも、ウェットフード、魚肉ペーストに混ぜた薬を嫌って食べないこともあり、口の脇から無理やり押し込んだ。無理やり、それも、今はやめている。

薬の服用はつづけるとして、毎日ほぼ決まった時刻に心拍数ほかを測定する、それを続けるかやめるかを決めたいと考えるようになっていた。

はなが嫌がるのである。寝ているとき、スマホのストップウオッチを片手に、膨らんだり萎んだりする胸の動きを数えるだけでも、はなは敏感に悟り起きてしまうことが多かった。

1ヶ月ごとにデータを集計し、グラフにする。それをみながら、薬の量は適当であるか、今、輸液は必要ではないのか、あれこれ頭を悩ませるのである。紙の手書きグラフには他の症状や血圧などあれこれ書き込んである。下は心拍数のみのグラフでアプリが自動作成してくれるものである。

2021.9~12 はなの心拍数データ。
抹消血管の血流から脈派を検知するタイプの
心拍数測定アプリを利用した。残念ながら任意の月のグラフを表示できない。

まして、聴診器かスマホのレンズを肉球に押し当て測定する心拍数はなおさらであった。機嫌が良ければ喉を鳴らしながら測らせてくれるのだが。

しかし、データ値が悪いからといってはながしんどそうにしているかといえば、必ずしもそうではない。180を超える高血圧でも、喉を鳴らしている。ブラシかけて〜と甘えてくる。

データの値にいちいち反応、いや、苦悩するのは人間ばかりである。

もっともよほど状態が悪化すれば、血液検査などのデータや別の治療が必要になることもあるだろう。

とにかく、はなの嫌がることをして強いストレスを与えるより、受け入れてくれる事だけをする方が結果的には、彼女のためであると思うになった。

それで、年末までに、来年は心拍と呼吸数の測定をやめるか継続するかを決めたかったのである。

元日になって、いつもの測定する時刻が近づいたとき、ベッドで横になっていたはながテーブルにやってきた。

「はな、もう、あんよでピッピッピッピッって測るのやめようか?」

頭を撫でながら話しかけると、喉を鳴らした。

「そか。わかった、もうやめようね」

「今までごめんね、測らせてくれてありがとう」

テーブルの上では上手く測れないことを知っていて、その時刻になるとやってきたようだった。そのことで測定をやめることを決めることができた。

個人輸入している血圧降下のお薬をうっかり切らしてしまうこともある。在庫数の管理ミスや購入先での在庫切れ、物流の遅延も重なり、長い時は一ヶ月以上休薬となることがあった。

それでも、服用中と比較して症状の何かが有意に変わることはなく、むしろ、ご飯を美味しく食べて元気でいた。少なくともそう見えた。

でも、薬を再開したら、魚肉ペーストのご飯を怪しむようになってしまった。はなのご機嫌ひとつで食べたり食べなかったりだけれど、それでいいと思えるようになった。

旅立つその日まで、データに振り回される日々をなくす決心ができたのはよかった。

自宅での看取りを前提にできるだけ楽に逝かせてやること。

そのことを実践していきたい。

動物を飼うものとして、少しは強くなれた気がしている。

はな、

神様のお庭に先に行ったモカ達に会うのはもう少し先だけれど、

会える日がほんの少しずつ近づいているのもまた確かなことだよ。

母はかなり遅れて会いに行くけどね。

寝正月三昧で始まった2022年。

ネコたちぎゅうぎゅう詰めの布団のなかは電気毛布並に温かい。

母を選んでくれたみんな、ありがとう。

日常と変わりなく、三が日を過ごした動物舎。

これからも平和な動物舎でありますように。