小梅🐱のお散歩

帰り道はダッシュ!

今年初めての投稿だと思う。

昨年秋、茶トラのまーくん🐱が亡くなった。

彼の死から気持ちが少し楽になって、次に終焉の見え始めた年齢の小梅を日曜日にお散歩させるようになった、昔のように。

自転車のひと、通行人が物珍しそうに小梅の様子を見たりする。優しいお声掛けをしてもらうこともある。

小梅は6月には満19歳になる。

アスファルトや植栽のブロック、アパートの玄関ロビーの柱に顔をスリスリ、体をぐりぐりと擦りつけたり、小梅の上機嫌な様子を見れるのは嬉しい。

気に入った雑草があると噛みちぎりたいのだけれど、もううまくできない。奥歯、臼歯が効かないのだろう、そこそこ噛む力はあるのに、、、

外へ行きたい気持ちはあっても、体調が優れないと玄関ポーチで止まって踵を返すことも。

🐈‍⬛🐈‍⬛🐈‍⬛

小梅は低い高さの椅子に腰掛けたままの母の太ももの上に乗り、一日中べったりと離れなくなった。日向ぼっこ、寝る時だけは、母のベッドのヘッドボードに沿わせて置いてあるラック上の電気マットに寝そべるように変わった。

故猫はなちゃんの体を温めた電気マットをそこに移動したのである。

低い場所にも電気マットはある。

脚を交換し高さをカフェテーブルにしたのだが、以前と同様に冬はコタツ仕様にしてある。そこに敷いてある電気マットのうえは若い子🐱たちに占領された。小梅は長年のお気に入りの場所を奪われたのである。

🐈‍⬛🐈‍⬛🐈‍⬛

母にはまだ25~30年の人生がある。しかし、小梅は順調に過ごせるとしても、残りの寿命は1~2年かもしれないのだと考えるとずっと抱っこして、わがままもすべてかなえてやりたい。

母は、趣味ではなく仕事のひとつとして書の研鑽を積んでいる。

膝から下ろしても下ろしても抱っこに来られると、根負けしてしまう。月例出品の作品制作ならまだしも、4月の師範推挙試験ではおりてもらわないことには、、、

半紙、半切サイズの作品を書くことはもちろん、本を読んで勉強することも、食事すら不便極まるため、小梅の首根っこを掴んでわざと少し乱暴に、そして無言でひざから下ろす。

心の中で、

「小梅、ごめん !!」

と、手を合わせ繰り返し繰り返し謝る。

心がすごく痛い。小梅はもっと痛いことかと思う。

それでも、師範試験のときは心を鬼にして最善をつくさねば。

尽くしたとしてもまた不合格かもしれないけれど。

🐈‍⬛🐈‍⬛🐈‍⬛

小梅は1歳になる前から今の動物舎に転居するまで、毎日、外と中と自由に行き来していた。

当時、4にゃんず(当時)をつれ公園に行ったりもしていた。

その経験があるので、室内飼育に切り替えてからも、ドアをあけた隙に脱走したとしても、呼べば帰ってくる。ほかの3~6歳児のにゃんずははじめから室内飼育、彼らとは違う別の絶対的な信頼関係がある。

それぞれのにゃんこと、それぞれの付き合い方がある、そう思う。

冬には穏やかな日差しが差し込む動物舎。

心もあたためられるといいな。

ここを選んでくれた生き物たちに心からの感謝を。

MICHEAL.Jr passed away. まーくん🐱が9月に神様のお庭へ引っ越した

はな🐈の調子がかなり悪くなり気胸らしき咳が2月から出始め、やっとおさまりつつあった4月。

今度は4月中頃からまーくんが毎日嘔吐をするようになった。

MICHEAL.Jr こと、まーくん

嘔吐は深夜から未明に必ずと言っていいくらい起きた。なので、まーが嘔吐して落ち着くまで普通の時刻に眠れる日はなくなった。

「急性胃腸炎」といわれた初期の診断。まーはお出かけも投薬も苦手。わずか数回だが、飲ませた制吐剤も胃腸薬もきかなかった。

【この子は薬を受け入れない】

【受け入れてくれることだけ、させてもらおう】

どんどん削痩するまーくん、いつ亡くなるとも分からないはなちゃんとふたりの面倒をみながら4月と5月と過ぎていった。

外出嫌いの嫌がるまーをキャリーに入れられたのは彼が酷く弱っていたからだった。

急性胃腸炎だったの???

血液検査の結果では顕著な異常がない、という。ただ、高中級数のみ高いと。

胃腸を詳しく調べるなら、さらなる検査とそれを受けて内視鏡検査など検討できるけれど、結局は内服薬となる、と、医師のお話。

薬を飲まないまーには内服薬は無理だし、前段階の検査を怖がるに違いなかった。

「まーは、薬をうけつけない」💊

してやれることはぼとんどなかった。

●恐怖を与えたり、痛みを伴う検査や治療、本人が受け入れないことはしない。

動物舎のルールである。

🐈🐾 🐈🐾

5月15日、はなが旅立った。三年まえから既に覚悟していた看取りだった。CKD(慢性腎臓病)による最期はふたりめだったがのんちゃんよりは遥かに穏やかだった。

🐈🐾 🐈🐾

9月になると、まーは、母からは見える家具の隙間でペタンと寝転んで一日を過ごすようになっていた。好きなものをわずかに食べるだけで、体重は毎日減少し3キロを切っていた。

仕事にでるときは、「夕方には戻るから待ってて!」と必ず声を掛けた。

その日、「ただいま!」ドアを開けると目の前の廊下にまーくんが倒れていた。

顔や体に触れたあと、耳の穴に指を入れるとかなり熱い、熱がある。腹部を触るとわずかにぷよぷよしており腹水の貯留を感じた。

意識はあるが体には力がなくなっていた。自身の血の気が引いていく音を聞いた。

電話をしたらいつも指名する先生がいて、夜間診察を受けた。

結局、医師と話しただけで、明朝から検査する運びとなった。この夜、熱を下げることくらいしかできなかった。

注射でなにか和らぐ症状があるならそれを、、、そう望んで翌朝、早くからまーくんはあれこれの検査を受けた。

こちらから提示した予算は6万円。

診断名 消化器型リンパ腫、末期

エコーでは、腸が侵されて一部が大きく腫れていた。針生検でもおかしな形のリンパ球と、壊死した細胞しか取れなかった。腹水もあったが抜去の必要はまだないとのことだった。

してやれるのは炎症をわずかに抑えるであろうステロイド注射だけだった。

それからわずか7日後、母が仕事から戻るのを待ってくれていたまーくん。ぐったりしたままで寝転んでいた。様子を一目見て、今夜、もう逝くのだとわかった。

膝の上に抱き寄せて、声を掛けなでるしかなかった。既に瞳孔は散大している。

薄い瞳の色は黄色とも緑とも区別がつかず、晩年の優しいまーの性格そのものだった。茶トラの黄色も暖かい色味だった。

呼吸数、心拍数ともに上がり、酸素を鼻腔のかなり近くに導入した。意識がしっかりある時は酸素の出てくるノズルをむしろ嫌がった。

20時半頃から容態は悪化した。そのうち、小さな痙攣が起き同時に小さな声をあげた。その瞬間に意識が完全になくなったようだった。

みるみる呼吸数が少なくなり、聴診しても心音は雑音に変わっていた。

しっぽの毛が逆立ち最期の一息を吐くと、まーの心臓は止まった。20時58分 永眠。

経験則だが、ネコは死に際しっぽの毛が威嚇する時のようにぼわっと逆立つ。

【まー? まーくん?! まーたん!】

名前を呼びながらまーを抱き締め泣きわめく母を他のにゃんずは遠巻きにして怯えていた。

【みんなびっくりさせてごめん、まーくんお兄ちゃんが、、、はなちゃんのところに行ってしまったよ】

土曜日に亡くなり月曜日に荼毘にふすことになった。タオルに包んだ保冷剤を頻繁に交換した。まーの遺体は汚れることもなく綺麗だった。これは珍しいことであった。

10月はお仏壇やお位牌を新調したりと忙しくした。

【お仏壇を置いて供養しなければ】

という衝動に駆られたのだ。

お仏壇には、新しく作った両親の夫婦位牌と、動物舎で生きた生き物たちの遺骨や遺髪を収めた骨壷をおいた。

御本尊は小さな掛け軸で【十三佛様とお大師様】にした。母の子どもたちを導き救ってくれることを祈って。

ボーティブという長い時間に渡り燃焼できる背の低いロウソクを灯し、白檀が僅かに混ざっているお線香を焚いて、四十九日までを数えた。

朝晩にドライフードやおやつをお供えした。エン麦がよく育ってるうちはそれを刈り取って草食獣達に。

両親含み御先祖様にはふりかけをかけた白飯を、炊飯した時だけ供えた。

両親には小さくカットしたバタートーストを時々供えた。

お仏壇に必要な具足がすべて揃うには日にちがかかったのだけれど、選んだりオーダーしたり、飾り付けをしたり、そういう忙しさが悲しみを紛らわしてくれた気がする。

それでも立ち直ることは出来なくて心身不調となり書道教室は11月いっぱい休講とさせてもらった。

はなが亡くなった時は、ブログにわりと早い段階で投稿できたけれど、流石に5ヶ月の間に二人も子どもを亡くすとどんぞこまで落ち込んだので、ブログなど頭から消えていた。

はなの訃報の投稿をみてコメントをくださった方がいて、コメント来てますメールで知った。

それがきっかけとなって、まーのことを書き始めたのであった。

🐈

まーくん。まーたん。

やんちゃが酷かったころはたくさん叱ってごめん。

「それ、ダメでしょっ!」

何でもかんでも好きにさせてあげたかったけれど、他の小さな生き物をハンティングするのはさすがに困って叱りつけたね。観葉植物もぐちゃぐちゃにしてくれたね。

順位が低かったころは、腕枕に来たかったのに、足元の方でずっと我慢してくれていたね。

モカやはなちゃんが亡くなり、男の子としては第1位になり、やっと腕枕にも来れたのに、わずかな月日だったね。

小梅姉ちゃんになんども挑んだけれど、一位の座は残念ながらとれなかったね。

「ママ、抱っこしてー」

モカと同じく縦抱っこの心地良さを覚えてまだ3年も経ってなかったかもしれない。両の前足で足踏みしてから立ち上がり母の肩に前足を掛けて甘えてくるまーくんは、極上の愛らしさであった。

「ママ、もう限界、まー、ごめん降りて」

まーが自分から離りるのを待ってやれなくてごめん。重いからと、グルルグルルと喉を鳴らしてる最中に降ろしてごめん。

出会いのとき、捕獲の瞬間は大人しくはなかったけれど、一発勝負で捕獲させてくれてよかった。京都からの電車は揺れて、途中、吐いてしんどかったよね。

まーくん、茶トラ特有の甘えん坊ぶりを見せてくれてありがとう。

まーたん、小梅姉ちゃんが18歳と半年になったよ。

まー、小梅を迎えにくるのはもう少し待ってやってね。2024年6月には19歳になるから、少なくともお誕生日は迎えさせて。

年老いたけど小梅は元気だもの、見ている限りはね。高いところだって上がって降りてこれるし、若い弟が悪さしたらダッシュで追いかけてるよ。

まー、モカ兄ちゃん、はな、琥珀達と楽しく過ごしていてね。20年は待たせずに必ず行くからね。

🐈

お仏壇のある風景に変わった動物舎。

お線香の香りとロウソクの燃える匂い。

そして綺麗なおりんの音が響く動物舎。

見たこともないお仏壇という変なものを受け入れてくれてありがとう。

母であるわたしと子どもたちのささやかな楽園、動物舎。

平和な時間が1分でもながく続きますように。

2023年、黒猫18歳になる。

小梅は300gちょっと位の体重のころに動物舎のこどもになった。

2023年5月に19歳で亡くなったはなちゃんと、2017年に14歳で亡くなったモカに、蝶よ花よと育てられた。

それで根っからのお嬢様気質ができあがってしまった。

お誕生日プレゼントはピンクの軽量カラー

でも、とても母に懐いてくれて目に見えないもの、言葉にできないものをたさんくれたように思う。

小梅ははなちゃんと同じく慢性腎臓病だけれど、頑張り過ぎずにあと少し長生きして、母の人生に寄り添って欲しいと勝手なことを願う。

6月10日はかつおのお刺身でお誕生日おめでとうパーティ。

にゃんずのみんな、小梅おばあちゃんのわがままを許してね。

明日もきっとしあわせな動物舎。

はなちゃん🐈‍⬛ が逝った。

2023年5月15日、誰よりも長くともに暮らした愛猫のはなが、神様のお庭に呼び戻されてしまった。

2023/05/09 この日はまだ体勢を保つことができていたはなちゃん、19歳。

ここ3年ほどの間に心臓病と腎臓病からの症状がだんだん進んでおり、いつ亡くなってもおかしくはないという状況だった。

4月の中旬には在宅の師範試験があり、はなちゃんには、「試験のあいだ、構って上げられないけどごめんね」と、邪魔をしないようにお願いしていた。はなは恐ろしくお利口さんで人間の顔色、気配、空気を読み尽くす子であった。

我慢をさせた分、試験のあとは全力で甘やかしモードにしたのだけれど、試験が終わっておよそ1ヶ月で逝ってしまうなんて早すぎる。。。

たまたま、2月にまーくん🐈に胸を圧迫され外傷性気胸を負っていた。そのため咳の発作が出るようになったが、4月下旬には発作は消えていた。けれど、元気そうに振舞っていただけだったのだ、きっと。

5月3日に嘔吐した以降は、連日、ウエットフードもミルクも顔を背けるのだった。

極度に衰弱しふらつき、飲水の際にも頭を保つことが辛そうになっていって、頻脈性不整脈も酷くなっていった。

5月11日木曜日くらいからいよいよ旅立ちが近い事を悟った。少しでも苦痛や気持ち悪さ、激しい喉の乾きを和らげようと、浮腫まない程度に皮下輸液をし、利尿剤をのませた。

皮下輸液のお陰で喉の乾きは少しましになったらしく10分ごとに水を飲みたそうにする仕草はなくなっていた。でも、しんどそうなことには変わりなかった。

利尿剤が効いて無尿から少量の尿が漏れるようになり、14日の日曜日には通常量をこえる排尿があった。排尿といってもその時にはもう水のボウルの前で倒れたままおもらしという形であった。

5月15日月曜日の朝、はなはベランダの日向ぼっこ棚に移動していた。実は深夜に母のベッドの上に自力で上がり少しの間横になっていたのだ。その後だろう、よくベランダまで移動したものだと驚いた。

また、はなは、この数日のあいだろくに寝てなかったけれどようやく少し眠れた様子だった。

金のだしを少しだけ器に入れて差し出してみると、昨日までと違って体をしっかり起こしてボウルに鼻先を入れスープのみだけれど、食べてくれた。およそ2週間ぶりのことで、最期の食事となった。スープだけでも飲んでくれたことは、やはり母を喜ばせようと力を振り絞ってくれたみたいに思えて酷く泣けた。

はなが危ないと判断してから抱っこして廊下や表通りからの景色を眺めさせたけれどほとんどが夜間だった。

15日月曜日はとてもよいお天気となった。思い切って、午後2時前に裏の空地にはなを連れていき、お座りの姿勢を作ってやった。もはや、自分ではお座りも寝返りもできなかった。

あまり動画を撮ったりしないけれど、このときはカメラを向けた。車や飛行機の音、草や土の匂い、ベランダからこちらを呼ぶ槐🐱の声。

色々な刺激は届いたらしく、はなは首を左右に大きく何度か動かしていた。後足はもはや力なく変な方向を向いたまま、前足もアスファルトに引っかかるから突っ張れているような状態だった。

数日ぶりに呼び掛けに対して、「にゃー」と鳴き返してくれた。それもまた力を振り絞って、という様子にみえて、食事と同じく、褒めて褒めてただ褒めてやることしかできなかった。

お散歩にならないお散歩も、3分程するとはなは雑草の間に「ふ〜っ」と言いながら倒れ込んでしまった。「少しは楽しめた?、気持ちよかったね、お部屋に戻ろうね」と、行きとおなじく抱っこで戻った。

はなの様子をみていて、にゃんずや生き物を看取る経験を重ねるなか、今回初めて、

🌱🌱🌱🌱🌱🌱

「もう頑張らなくていいから、楽になって」

🌱🌱🌱🌱🌱🌱

と思った。

夕方から容態は悪くなる一方だった。

18時を過ぎるとはなの心臓はデタラメなリズムを刻みんでいた。

呼吸数が10回を下回り、しっぽが逆立ってしまったとき、移動させて酸素のノズルを鼻先にあてがった。

忘れたような呼吸を3回ほど繰り返すと、次の呼吸はもうなかった。

2023年5月15日20時46分 永眠

先に逝ったモカや琥珀がはなのお迎えに来て連れて行ってしまった。

19歳と47日を、はなは生き抜いた。

若かったころのはなちゃんとモカ。
はなは5kg、モカは7kgという大柄な二人だった。

.+*:゚+。.☆ ☆。.:*・゜ .+*:゚+。.☆

感謝、愛情、後悔、お詫び、、、様々の言葉をはなに届けた。

神様のお庭で、輝いていたころの姿になって楽しくやっていてほしい。

「必ずあとから行くからね」

神様に呼び戻された子達と交した約束。

騒がしい数日を超えて静かになった動物舎。

祈りの時間がかくも濃く流れる動物舎。

はなちゃん、もうすぐ19歳。Hana’ll be 19years old.🐱

推定誕生日、2004/03/29 。白と黒のハチワレ模様のはなちゃんは、心臓と腎臓に厄介な病を抱えている。

はなの心臓は幼猫のころから何かしらあって、空咳が多かった。いつの間にかそれは無くなって、元気にたくさんの季節を過ごしてきた。

なのに、今年の2月からまた咳が。今回はどうやら喘息のようで、ザーザーとかゴーゴー、ヒュー、ピーなど副雑音がする。心拍数は200近くになる。

発作が始まるとはなを酸素ジェネレータの傍に連れてゆき、鼻近くにノズルを近づけ発作が収まるのを待つ。見た目の咳は止まっても呼吸の雑音が無くなるまで酸素を吸入させる。

慢性腎臓病はそれなりに進行を遅らせることに成功しているのかもしれない。診断がついてからおよそ三年か。1日1回の薬、フォルテコールのジェネリック薬品を混ぜたウェットフードを食べてくれる。

数日前、誕生日を待たずに大好きなカツオのお刺身を買って食べられるだけ食べさせた。鶏肉などのお肉はあまり食べなくなり、魚はマグロでもキハダとかメバチなどあまり食べなくなった。本マグロは食べる。そして、焼き物の塩サバも欲しがる、、、(´×ω×`)

普段よく食べているようすなのに体重は減少傾向。若いころは4.5キロはあったのに、今は3.5キロ付近。

嫌がる治療や投薬はもう行わないので、心臓、腎臓と同じく喘息とも上手く付き合うのみ。

🐈 🐾 🐈 🐾 🐈 🐾

はなちゃんは、気分が外向きになるとビニルシートを貼ってある廊下をとことこ歩く。もう走らない。階上へ上がって端から端まで探検すると、まあまあ満足してくれるので、抱っこで部屋に戻る。わずか三分の探検。

今年、近所の桜が早くから咲き始めた。アパートの廊下にでれば、きっと匂いが流れて来ているはず。

桜の花が満開のうちにはなちゃんの気持ちが外へ向いてくれたら、お花見ならぬ、桜の香り会と洒落こもう、廊下だけれど。

ゆっくりゆっくり歳を重ねてほしい。一日一日の無事を祈るのみ。

はな、先代のモカを好きになって自分からうちの子になってくれてありがとう。

This is an old picture.Some cats passed away.

白髪の無いはなちゃんと故猫たち。
後列左から、× 琥珀、×モカ、小梅、×のん。
前列左から、はな、まーくん。

そこそこ平和な動物舎、みんな、ありがとう。

黒猫が4~5日ぶりに食べた

慢性腎不全の黒猫、おばあちゃん猫でる。

大切な大切な大切な娘である黒猫の小梅。6月には満18歳になる。不調になってここ4~5日は飲水もなく、食べなくなっていた。

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無料ギャラリーにあった黒猫。顔が若い。小梅にもこんな頃があった。

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今朝、2023/02/10になって、やっとウエットフードを少し食べた。嬉しかった。

小梅には皮下輸液をしたことはなく、今回の不調におちいったとき、どうするか考えた。

舌なめずり、お口クチャクチャ。

ネコの気分が悪いときにみられる動作、何とか気持ち悪いのをましにしてやりたい。

腎不全からくる脱水症状は、はなちゃんも小梅も何年か続いている。

はなちゃんは、皮下輸液を継続していたがやがて嫌がるようになり、辞めた。小梅は皮下輸液がなくても良好な状態で過ごせていた。

2匹とも腋窩で38.6度の体温。小梅は気分の悪いときの動作をする。考えに考えて小梅に皮下輸液を試すことにした。輸液ははなちゃんの残りがあった。

穿刺のときと、始めのリンゲル液が皮下に入るときに「シャッ」と短く怒っていたが、常温で30mlを入れることが出来た。水曜日の深夜である。

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23G(ゲージ)というかなり細い針で穿刺の痛みは最小限にできる。24Gを故猫のんちゃんに使っていた。細すぎてたくさんの輸液を入れるには時間がかかった。そのかわり不快感は小さくてすんだようで、のんちゃんはおとなしかった。

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翌日の木曜日、2023/02/09。もし、皮下輸液をしたらもっと怒るだろうな、これが最後のチャンスか。これでなんとか良くなってくれたらいいのに。

19時半ころ嫌な気配を察した小梅はテーブルに逃げた。用意をして輸液をとったシリンジ、翼状針、ヘアピン、ハーネス、短いリードをもってテーブルに行った。

当然、逃げようとしたが、ハーネスを付けると引っ張らなくてもじっと座ってくれた。

とくに最初の1滴は慎重に静かにゆっくりで。

なぜ、ゆっくり静かに輸液を注入するのか。

病院で獣医師のやるようにピストンを躊躇なくずずーっと押し込むやり方は、皮下に一気に入ってくる輸液の刺激が大きくて生き物には強い不快感を与える。時間に追われる病院では仕方あるまい。お家では、刺激の小さいやり方をしてやりたいと思うではないか。

最初の一滴のあと、1ml~5mlは、ゆっくりと入れて皮膚が輸液の感覚に慣れ始めたら、小梅に声をかけ左手で頭をなでつつ、右手はピストンを押し込んでいく。30mlで23ゲージの針なら疲れることなく片手で押し切れる。

穿刺のときは水曜日よりも、「フゥ~ッ」と強めに威嚇の声をあげた。リンゲル液が入るとき再度声をあげたが、30mlを入れさせてくれた。

そんなことがあっての今朝のごはん。やはり、食べないので、ボウルの場所を変え自分の枕元に置いていた。

数分後、小梅がベッドの足元側の電気マットから歩き出して枕元のボウルのフードを食べ始めた。

「偉いねー! ごはん、たべられたね。いい子いい子😭」

目の前の、命の危険を遠ざけることができた。

一方、はなちゃんは、一日の中での食欲ムラが大きいがそれなりに食べてくれるようになっている。

はなと小梅が普段使う電気マットは母のベッドの足元に置いてある。2匹が特に不調になってからは、酸素ジェネレータからのチューブにネプライザー器具をつけ、そのマットの上から酸素が降り注ぐ形に変えていた。

普段は部屋の壁にチューブの先端をピンでとめて、部屋全体にじんわりと酸素が渡るようにしている。そのチューブの場所を変えて不調解消に役立てられたら、と移動したのだった。

「いっそ酸素ルームにすればいいのに」

多くの方はきっとそう思う。大人しくそこに入ってくれるワンコ、にゃんこも多いようだ。でも、うちの姫猫達は普段のようすからして、望まない形で閉じ込めらるのは拒否するだろう。

はなちゃんは、頻脈性不整脈がひどく、寝転んでいても呼吸数40~60回、心拍は160/分が普通になっている。酸素を供給するようになってからは、呼吸数40回程度に落ち着いている。心拍数はなかなか落ちない。血圧もやや高めの時が多い。

ネコは呼吸数20~30回なら正常範囲である。

小梅は呼吸数25~30、心拍数60~80回である。食べられなかった数日の間も変わり無かった。

慢性腎不全の老猫、小梅が今回何とか持ち直したのは、結果からすると、酸素(93%、1L/min)を与えたことと、リンゲル液30mlの皮下輸液2回、フォルテコール服用中止、だと思う。

まだ目は離せないけれど、病気なりにもっと元気をとりもどしてくれたらと願う。3回目の皮下輸液は拒否されるだろうから、このまま回復して欲しい。腎不全のお薬、フォルテコールもまだ数日は止めておこう。矛盾するようだが薬の作用・副作用がしんどいこともあるのだと思う。

【生き物が嫌がる治療はしない】

昨年決めた、動物舎の新しい方針。

今日は若いにゃんこ達に猫じゃらしのサービスを多めにしてやろう。姫猫達の養生のために我慢してもらっていたから。

姫猫達の観察と猫じゃらしで忙し動物舎。

明日、母はいつものお仕事で外出するけれど、みんな生きてお留守番していてね。

鳴き止みません、勝ち取るまでは。―にゃんこはちゅ〜るが欲しい―

バルジェは我が動物舎では珍しいソリッドカラーの黄色いにゃんこ。

バルジェ

黄色い歓声 という表現がある。

バルは黄色い体でうるさく、泣く、鳴く、啼く。

₍ᐞ•༝•ᐞ₎◞ ̑̑♪

お腹すいた。

トイレ掃除して。

お水取り替えて。

猫じゃらしして。

とにかく、いつも何かを要求している。

⁽⁽ฅ₍₍⁽⁽ฅ^•ﻌ•^ฅ₎₎⁾⁾ฅ₎₎

先程も寝る前の軽食を与えると、バルジェはそれではなくてちゅーるを欲しがって鳴いていたが、とりあえず無視。

どこまで粘れば要求が叶うものなのか、猫という生き物は常に飼い主を試すからだ。

みんなが食べ終えて少し落ち着いてから、バルに話しかけた。それが動画の様子。

バルジェ、ちゅーるを諦め水を飲む。

朝も昼も夜も、起きていれば鳴いてることの多いバルジェ。お迎えした頃はモカに良くなついていたが、そのころは泣き虫ではなかった。

バルジェに限らず子猫達の面倒を
よく見る兄猫モカにゃん。
これは、バル達をお迎えしてまもないころ。
(2019夏)

不満? を感じさせてているのは、この母なのかと不安になる。

手があけられるときにはできる限り構ってやりたいと思う。ただ、もう少し可愛く鳴いてくれたらと贅沢なことを思う。

(´×ω×`)

しゃがれた声で、ときどきコブシをきかせながらなくのはやめて欲しい。なんというか、若さがなくなる。

バルジェの鳴き声に少し苛立ちながら、18歳6ヶ月のはなの旅立ちがいつなのかと心配もしなくてはならない。

がんばろう、この子達全員の旅立ちを見届けるまでは。

少しばかり騒がしい動物舎。

みんな、ここに来てくれてありがとう。

助けたつもりで殺してしまったアリさん、ごめんなさい🐜

I’m sorry, Ali-San(ant)🐜. I killed you with the intention of saving you.

at Convenience store.

There were large 🐜 ant, over 10mm long, on the shelves lined with seasonings and was moving right and left through the bottles of salt and dressing.

I knew he would be knocked off, if he was found, so I took the bag of condiments that the ant had stopped at and I moved him to the floor.

Quick, hide somewhere!

I was looking at him for a moment, I wonder if the white floor would stand out too much to the black ant.

After I finished my shopping, I returned to the spot and found that the ant was flattened.

Very, very, very, very, very, very, very…

I was sad.

I had tried to save him, but I had put him in a dangerous place.

I’m so so sorry, Ant.🐜

コンビニでのこと。

調味料が並ぶ棚に1センチ超えの大きな🐜アリがいて、食塩やドレッシングのボトルを右往左往していた。

見つかったら叩き落とされてしまうと思い、アリさんが止まった調味料の袋を持って床に移動させた。

早くどこかに隠れてしまえ! と、思い少し眺めていたけれど、黒いアリさんにとって白い床は変に目立ってしまっただろうか。

自分の買い物を済ませてその場所に戻ったら、アリさんはぺしゃんこになっていた。

とても、とても、とても、とても、

悲しくなった。😭

助けるはすが、かえって危険なところに下ろしてしまったのだった。

ごめんね、アリさん。

黒猫、17歳になる。

愛猫、小梅は今日2022年6月10日が推定誕生日。17歳。

テーブルの下、ほぼ一日、母の傍にいる。

2005年7月2日、早朝に拾い上げた。まだ、330gほど、お皿からはミルクを飲めた。ガンと闘うゴールデンリトリバーくんが公園の植栽に隠れる仔猫をみつけてくれたのだった。

ご夫婦がゴールデンくんのリードを持ったまま立ちされずにいて、そこへ通りかかり連れ帰ったのだった。

お姫様として故猫モカとはなにたくさん可愛がられて育ったため、一歳にもならない頃にはのんちゃんを追い出してしまうほどだった。

あの朝から早、17年。慢性腎臓病(CKD)と付き合いながら、気に入らない若い殿猫を元気に追いかけている。

追いかけられるのは白猫の槐。布団の下に潜る彼と間違えられて、母のふくらはぎをがっしり噛まれたのは5月。もう勘弁してねと思いながら、この6月も噛まれた( ˙꒳˙; )

のんちゃんのことがあって、一度は実家で面倒をみてもらおうと四国へ連れていった。その日の夜中に脱走してしまい、2ヶ月ほど大阪から週3くらいで通い、のどが潰れるまで名を呼んだ。

新聞広告をうち、その情報から小梅を見つけ、やっとのことで大阪に連れ帰った。当時、逃がしてしまったばぁばが途方にくれ、占い師にみてもらったという話も聞いた。「3ヶ月ほどでもどる」と言われたらしい。自分のうちに戻る気持ちのある猫ならば、そこまでかからない。占い師も猫を知っているとみえた。

そういえば、大阪から阪神方面へ転居してまもないころ、はなちゃんの目の瞬膜を爪で引っ掻き割いたこともあった。V型に切れ込んだ傷は残るが視力に影響はなかった。そのはなちゃんも3月に18歳を迎えた。

小梅だけは、車の少ない日曜日などは、ときどき猫じゃらしの草を食べさせてやるために、アパート裏の敷地に連れ出してやる。夏場に限ったことで小梅が楽しみにしている。

室内飼育に切り替えてから、一切出さない年月があったが、CKDとなってからは悔いのない人生を送らせてやりたいと、ときどき以前のように外へ出してやるようにした。はなも同じくだが、廊下を歩き階段を上がるも疲れるようで3分もすればだっこで部屋にもどる。

小梅は敷地の外にもでて、歩道を行く人や自転車を見送る。耳が少し遠いようで、車の音に気づかず横切ろうとするので、一方通行の公道に出ているときは見守っている。

そんなこんな、いろいろやらかしてくれる小梅さん。

もう少しここにいて。

四国の実家から抜け出してもちゃんと大阪方面、東へ東へと向かって進んでた、偉かったね。

初めてあった時、逃げずにすんなり抱っこさせてくれてありがとう。

今日も平和な動物舎。

ほかのみんなもありがとう。