2023年5月15日、誰よりも長くともに暮らした愛猫のはなが、神様のお庭に呼び戻されてしまった。
ここ3年ほどの間に心臓病と腎臓病からの症状がだんだん進んでおり、いつ亡くなってもおかしくはないという状況だった。
4月の中旬には在宅の師範試験があり、はなちゃんには、「試験のあいだ、構って上げられないけどごめんね」と、邪魔をしないようにお願いしていた。はなは恐ろしくお利口さんで人間の顔色、気配、空気を読み尽くす子であった。
我慢をさせた分、試験のあとは全力で甘やかしモードにしたのだけれど、試験が終わっておよそ1ヶ月で逝ってしまうなんて早すぎる。。。
たまたま、2月にまーくん🐈に胸を圧迫され外傷性気胸を負っていた。そのため咳の発作が出るようになったが、4月下旬には発作は消えていた。けれど、元気そうに振舞っていただけだったのだ、きっと。
5月3日に嘔吐した以降は、連日、ウエットフードもミルクも顔を背けるのだった。
極度に衰弱しふらつき、飲水の際にも頭を保つことが辛そうになっていって、頻脈性不整脈も酷くなっていった。
5月11日木曜日くらいからいよいよ旅立ちが近い事を悟った。少しでも苦痛や気持ち悪さ、激しい喉の乾きを和らげようと、浮腫まない程度に皮下輸液をし、利尿剤をのませた。
皮下輸液のお陰で喉の乾きは少しましになったらしく10分ごとに水を飲みたそうにする仕草はなくなっていた。でも、しんどそうなことには変わりなかった。
利尿剤が効いて無尿から少量の尿が漏れるようになり、14日の日曜日には通常量をこえる排尿があった。排尿といってもその時にはもう水のボウルの前で倒れたままおもらしという形であった。
5月15日月曜日の朝、はなはベランダの日向ぼっこ棚に移動していた。実は深夜に母のベッドの上に自力で上がり少しの間横になっていたのだ。その後だろう、よくベランダまで移動したものだと驚いた。
また、はなは、この数日のあいだろくに寝てなかったけれどようやく少し眠れた様子だった。
金のだしを少しだけ器に入れて差し出してみると、昨日までと違って体をしっかり起こしてボウルに鼻先を入れスープのみだけれど、食べてくれた。およそ2週間ぶりのことで、最期の食事となった。スープだけでも飲んでくれたことは、やはり母を喜ばせようと力を振り絞ってくれたみたいに思えて酷く泣けた。
はなが危ないと判断してから抱っこして廊下や表通りからの景色を眺めさせたけれどほとんどが夜間だった。
15日月曜日はとてもよいお天気となった。思い切って、午後2時前に裏の空地にはなを連れていき、お座りの姿勢を作ってやった。もはや、自分ではお座りも寝返りもできなかった。
あまり動画を撮ったりしないけれど、このときはカメラを向けた。車や飛行機の音、草や土の匂い、ベランダからこちらを呼ぶ槐🐱の声。
色々な刺激は届いたらしく、はなは首を左右に大きく何度か動かしていた。後足はもはや力なく変な方向を向いたまま、前足もアスファルトに引っかかるから突っ張れているような状態だった。
数日ぶりに呼び掛けに対して、「にゃー」と鳴き返してくれた。それもまた力を振り絞って、という様子にみえて、食事と同じく、褒めて褒めてただ褒めてやることしかできなかった。
お散歩にならないお散歩も、3分程するとはなは雑草の間に「ふ〜っ」と言いながら倒れ込んでしまった。「少しは楽しめた?、気持ちよかったね、お部屋に戻ろうね」と、行きとおなじく抱っこで戻った。
はなの様子をみていて、にゃんずや生き物を看取る経験を重ねるなか、今回初めて、
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「もう頑張らなくていいから、楽になって」
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と思った。
夕方から容態は悪くなる一方だった。
18時を過ぎるとはなの心臓はデタラメなリズムを刻みんでいた。
呼吸数が10回を下回り、しっぽが逆立ってしまったとき、移動させて酸素のノズルを鼻先にあてがった。
忘れたような呼吸を3回ほど繰り返すと、次の呼吸はもうなかった。
2023年5月15日20時46分 永眠
先に逝ったモカや琥珀がはなのお迎えに来て連れて行ってしまった。
19歳と47日を、はなは生き抜いた。
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感謝、愛情、後悔、お詫び、、、様々の言葉をはなに届けた。
神様のお庭で、輝いていたころの姿になって楽しくやっていてほしい。
「必ずあとから行くからね」
神様に呼び戻された子達と交した約束。
騒がしい数日を超えて静かになった動物舎。
祈りの時間がかくも濃く流れる動物舎。