ふと通りかかった折に目に付いて記憶に留まった文具屋がある。
用事を済ませてそこへ立ち寄ることにした。
まさしく文具屋といった風情を醸している。
ちいさな古い建屋の店先にワゴンがあり、ビー球、おはじきまでが並んでいた。
そこら一帯からは昭和の臭い空気が発生しているようだった。
ちょっと敷居をまたぐのを躊躇い、その間スポドリを飲み干した。
なんとなく心に勢いをつけて、ガラガラと音を立てながらサッシの扉を左へ引くと、
店のほぼ真ん中、低めのカウンターに向いて老人が座っていた。先客はいない。
「いらっしゃいませ」
言葉すらなかった。
実際に必要だったのは補助軸だった。
鉛筆が短くなって書きにくくなった際に長さを足してくれる優れものである。
もっとも普段”鉛筆”を使うのは水彩画のときだけである。
訊けば一本100円。高すぎる・・・
狭いながら老人なりのカテゴリに分類され、文具が並んでいた。
何も口にせずゆっくりと展示されてるものを眺めて回った。
老人なりに流行を取り入れ、国産の水彩色鉛筆と市販本が
立てて陳列されている。
しかし、みんなが気にする「値札」がみつからない。
不親切である。
しかも値札が貼られている商品の方が少ない。
これでは何となく不安で迂闊にレジに持ち込めない。
」
老人は私の進む方向に常にばれないよう視線を送っていた。
まるで
「このひとは何が必要なんだ?」
「万引きでもかんがえてるのでは?」
そんな視線をちくちく感じた。
おいてある商品の中でもいつから展示してるのかわからない
埃まみれの伝票冊子類。
数少ないゲルインクや顔料インク、加圧式のペン。
老人が言うには流行りすたりが激しく全ての商品をおく場所なんて
ない。それに今時キャップ式のボールペンなんて売れやしない。
代え芯くらいおいてるけどな。」
まるで私がキャップタイプを好んで使用してるのをバカにした言いようだった。
粗品で数年前に頂戴したが確かにキャップは失くし易いかも知れない。
そこをあえて粗忽さを改善しようとして使っていた。またノック式デザインにはない
何かお洒落な印象と高級感を持っていた。
ばねの入った代え芯はうっかりばねを飛ばしてしまうことも多い。
経験のある方も多いだろう。
その点、キャップ式はばねがなくてその心配がない。
気に入っている点でもあった。
奥へと進むと500円程度の短峰の書道用筆が並んでいた。
これではだめだと探していると、展示ラックと壁の隅に
見本が押し込められていた。
ベニヤ板にゴムをつけそこに高級筆がはさみこまれ、立てた状態で
保管されていた。
高いもので20000円程度だった。しかし、どうみても見た目には
そこまでの価値があると思えなかったのもある。
軸に自然の節のある竹を使用したものもあった。
でも、一つの製造者の筆しかなく、選べる数も10本程度であった。
ここでも、老人は
「あ。そこは高級な筆が・・」
とでも 言いたげに立ち上がり背中越しに一挙一投足を
観察していた。
「かくかくしかじかのものはないですか?」
そう訪ねるたびに
「そんなもん売れんからおいてない」
「それはもう20年以上前に利用されており現在はない」
ことごとく否定されるので流石につまらなくなって早々に
店をでた。勿論でぶらである。
客商売なのにあの愛想の悪さで長年細々やっていくポイントは
なんなのだろう。価格も上代そのままであった。
老人になると頭が固くなるというが、現実にそういった方を
拝見すると、脳に空洞もでき神経細胞のニューロンも減ってるんだな~って
しみじみ気の毒に思ってしまった。