コインの罠

 僕の最初の記憶、一番古い記憶は運動会だ。それは小学1年生くらいのことだったろうか。
最後の種目、クラス対抗リレー。前の走者を抜いてテープを切ったのは僕だった。
瞬間、見知らぬおじさんと目が合った。
 さして気にもせず、僕はちょっと苦い思いを噛み潰しながら勝利に浸っていた。
そう、ずるをしたのだ。前の走者のかかとをばれないように踏んだのである。
我ながらうまく行き過ぎた。
 今僕は街を徘徊している。自販機の釣銭の取り忘れを狙ってあちこちのテリトリーを
日に日に巡回しているのだ。その日は○区○番地付近を中心に狙っていた。
というのも、前日にその界隈で花火大会があったからだ。当然大勢の人が集まり
自販機も空になるほどドリンクが売れただろう。
 ところがその当ては大きく外れた。多くの人が利用するから却って釣銭の取り忘れが
ないのだ。どうかしている。ちょっと考えればわかることなのに、うっかりしていた。
小さく舌打ちをしながら、これで最後にしようと仕事をしたときだった。
白く割りと大きな円いものが自販機の下で鈍く光っていた。今日最後の幸運とめぐり合った
らしい。頬が赤くなるのを感じながら拾ってみると、それは五百円硬貨でなくスロットの
コインだった。
パーラー ジャンク。
少し歩いた先にそんな名前のパチスロ店があったことを思い出した。
たった一枚じゃどうしようもない。赤らんだ頬は一気に冷めた。
 いつもの癖で俯き加減に歩いているとタバコ、ジュースなどいろいろな自販機の付近に鈍く光るものが
落ちている。最初の一枚と同じ刻印だった。
僕は余りのコインを誰かが持ち帰る途中、うっかりポケットの穴から撒き散らしたのだと思った。
なんとなくコイン拾いに夢中になりいつのまにかポケットはふっくらとしていた。
 普段はめったに入ることのないパチスロ店にまるでおいでおいでをされたように足を運んだ。
暗い店内とは対照的に様々な機種が派手な光を放ち、流行の歌が大音量で流れていた。
ほとんど満席であったが、何となく、本当に理由もなくというのはこういう気持ちかなと思いながら
わずかにある空席のひとつに座った。念のため巡回する店員に細心の注意を払いながら
持参したコインを受け皿に流し込んだ。ちょうど千円で購入できるくらいの枚数があったようだ。
 もうすぐ店員が後ろを通り過ぎようとする頃合いにコインの吐き出し口に手をやってちょうど
購入したかのように装った。心臓がバクバクと鼓動を打っていた。
ちっちゃいな、僕も。
鼻から小さく息を漏らしてしまった。
 さて、ありったけのコインを投入口に落としていくとクレジットは21という表示だった。
スロットは一度に3枚のコインが必要だ。
案外ついてるじゃないか。
 チャンスはいきなりやってきた。ドラムが2度回転したところで大当たりがきた。
派手なBGMに紛れながらジャックポットをルーチンワークのようにこなしていった。
受け皿からコイン箱に移さないと溢れるくらいの出玉だった。さっきのバクバクした
鼓動はさらに強くなった。頬が再び紅潮するのもわかった。
 気づくと僕の椅子の後ろにはコイン箱が4箱も積まれていた。
しかし、さっきまでの大当たりの好調はどこかへ消え失せ、ドラムの目が揃うことはなかった。
リプレイが続くようになったのでもう潮時だと思った。コインの交換に行こう。席を立とうとした
その瞬間、肩に分厚く生温かいものがずしりと乗った。
 男が縦に開いてみせたそれは警察手帳だった。僕はさっと血の気が引くのを感じた。
君、ちょっと付き合ってくれるかな。
 ドラマで見たようなシーンそのものだった。それが今自分の身に起こっている。
 警察の取調室で僕は初めて知った。偽造コインをそうとも知らず夢中で拾っていたらしい。
なんて馬鹿なんだろう。
もう遅かった。
 何日もの間、僕は偽造に無関係だと言い張った。しかし、偽造コインは僕が手に触れた以外
触ることのできない場所、つまり、ラインにあるコインからも僕の指紋が検出されたという。
いい加減、素直に吐いたらどうだ?
 そんなことがあるはずがない。あの店に入ったのは初めてだった。それに、偽造するにしても
ひとりでできっこない。僕には友人と呼べる人間が殆どいなかった。
ましてや金属加工ができるものなんていやしない。それなのに物的証拠が間違いなく僕が
犯人だと断言している。
 
どうしてこんなことに・・・
 疲れもピークに達していた。警察の僕に対する扱いはは存外に紳士的であった。
それでもこう何日も同じことを繰りかえされれば酷く疲れ果ててしまう。
何もかもがどうでもよく思えてきた。親戚宅では僕がいようがいまいが誰も気づくものはいない。
友達も可愛がるペットもいない。どうでもよくなったとしても不思議でない状況だった。
ええ、刑事さんの言う通りです。僕がそのコインを使いました。
 不正に手に入れたコインを使いパチスロでプレイしたことを認めた。しかし、偽造に関しては
返事のしようがなかった。これまで平気で嘘をついてうまくやってきたのに、肝心なときには
上手く言い逃れができないなんて。
 数日後、国選弁護人との接見があった。僕はコインを拾い使用したが偽造はしてないと訴えた。
訴えるというよりは打ち明ける程度の勢いしかなかった。
 弁護士は穏やかな表情で言った。
なあ、あのコインよくできてただろう。それにお前が座ったあの台、大当たりが連続しただろう。
すべてが計画通りうまく運んだ。
何を言ってるんだ?
 初老の弁護士は惜しげもなく満足げな表情を浮かべた。そして、本当は高笑いしたいのを
奥歯を噛んで殺した。
その満足げな表情。どこかで見たような気がしてきた。
運動会。最後の種目、リレー。ゴールテープ・・・
そういうことか!
 僕は全てを理解した。
テープを切った直後何となく目があったおじさん。
僕が罠に掛けたため優勝を逃し父親に慰められていた少年。
僕の人生は終わった。